日本の陶芸史

江戸時代 京焼

京焼-仁清・乾山のこと

京都も製陶の中心地の一つとなっていて、京焼と呼ばれます。
名工仁清の現れて京焼が各地に影響を与えるようになりました。

野々村仁清は丹波国桑田郡野々村の出身で、寛永七年から十三年までの五年間、瀬戸で織部の製法を学んだようです。
京都へ仁清が瀬戸の製陶技術を伝えていて、窯の様式も瀬戸の様式です。
また、仁清の初期のやきものを京瀬戸というのもそのためです。

仁清とともに京焼に光彩をそえているのは尾形乾山です。乾山は、京都の商人雁金屋の三男として生まれ、兄は有名な尾形光琳です。

乾山は仁清から伝授された陶法のほか、楽焼の釉法も取り入れ、楽焼、下絵、上絵付、磁器などといろいろなものを作りました。