日本の陶芸史

縄文式土器


日本最古の土器は縄文式土器であると言われています。
その語源は考古学者のエドワード・モース博士が大森貝塚で発見した土器にその名前を付けたのが最初とされています。

縄文式土器の時代は、紀元前4・5000年頃とされていました。
しかし、昭和34年、夏島貝塚から出土した木炭とカキ殻の炭素年代測定をしたところ、木炭は9450年±400年、カキ殻は9240年±500年という結果がでました。この結果、胴に撚糸を細い棒に巻いて回転させた文様のある砲弾形の尖底土器は、今までの定説よりさらに古く今から9,000年前のものであることが判明しました。

今まで、世界で古い土器が発見されている地域はシベリヤのバイカル湖付近、中川の黄河流域、シリア、イラン、イラク、アフリカのケニア、北欧のアンキルス湖畔などですが、最も古いケニアの土器でも約八千年前のものとされていますので、夏島土器はこれよりさらに千年も古く世界最古の土器と言われていました。しかし近年中国でさらに古い土器が発見されています。

縄文式土器は創生期、早期、前期、中期、後期、晩期の六期に大きく区分されています。


関東・東北地方の特色を例示すれば、早期は尖底土器の一群、前期になると平底、早期後半から前期前半には織物繊維を胎土にきざみ込んだ織物土器が特徴的です。

前期前半は縄文模様に変化が多く、後半には浅鉢などの器形が作られました。中期は厚手の土器で形も大きくなり、立体的な装飾が多くもちいられ、後期は細文が特色となり、注口土器など器形の派類が加わり、晩期はきわめて精巧な芸術的な陶芸土器が多量につくられています。

縄文・撚糸文などは日本独自の手法であり、また回施文様の発達も他に類をみないものです。
縄文土器でとくに多いのは、煮炊きをするための鍋ですが注口土器、双口土器の他、円筒形、徳利形、香炉形など、いろいろのものがあります。
ロクロはまだ発明されておらず全て手作りです。焼成も窯に入れて焼いたのではなく、乾かした器をつみ重ね、これに焚木をかぶせて火をつけて、順次焚木を投入して焼きました。
おそらく5~800度程度の低温度で焼いたと推察されています。