日本の陶芸史

古墳時代

古墳時代


弥生時代以来、日本が国家として形作られた時代が古墳時代です。生活の礎は農業であり農業社会を基に国家が成立していました。その時代には、日常生活用のやきものとして土師器と須恵器が現れます。

古墳時代最初のうちは、前代の弥生式土器から変化した赤褐色ないし黄土色の素焼土器が使用されていました。この土器は、後の「かわらけ」の前身であり、低い温度で焼かれていたため焼けしまりが悪く、水が漏りやすいものでした。奈良朝時代の文献には土師土器などと記されているので一般に土師器と呼ばれています。

やがて、古墳時代の中期になると大陸から進歩した陶質の土器をつくる陶芸技術が入ってきます。この新しい技術の土器は灰色をしており、高い温度で焼きしめられていました。
たたくとすんだ音を出して水を通しません。正確な陶磁器の分類にしたがえば土器というより炻器です。釉薬はまだかけていませんが自然に釉の吹きだしたものが多くありました。奈良時代の文献にはこの土器を陶器または須恵と記されていますが、陶器と書けば陶器と混同されるので、一般には須恵器と称されています。

須恵器をつくりはじめたからといって、以前からつづいている土師器の生産は中止されませんでした。二系統以上の土器をつかいわけることがこのときにはじまります。両者はその後もながく平安時代にいたるまでおこなわれ、それぞれの末流と考えられるものは現在にまで至っています。


土師器

土師器は弥生式土器の後継であり、両者の間に製作技術の根本的改良は見られません。弥生式土器と同じく物をたくわえる壺、煮たきにつかう壺、食物などを盛る鉢、高杯の三つの種類が見られます。

それにもかかわらず土師器が弥生式土器から区別されるのは、第一に装飾的手法がきわめて少なく僅かであり、第二に土器の機能をそこなわないていどに粗雑に仕上げたものが多く、第三に弥生式土器より地方色が少なく画一的であることです。

土師器の成形は、「手づくね」と「巻上げ」の手法によって行なわれ、その焼けしまりぐあいから焼成温度は800度前後と推定されています。

土師器を時期的に大別すると、前述のような古墳時代のものと、奈良時代を中心とするものに区分され、奈良時代のものには数種の壷、有蓋壷、三脚有蓋壺、台付有蓋椀、蒸器、鍔釜、竃などがあります。


須恵器

中国では殷代に、灰陶と呼ばれる灰色の陶質土器がありました。この製法が海を渡り四方にひろがって、各地で独特の陶質土器が作られるようになり、須恵器もその一つです。

ただ須恵器の窯が、中国の南部で発達したのぼり窯の系統をひいており、また南鮮の三国時代の陶質土器が須恵器と似ているので、須恵器の製法は、南中国から南鮮を経由してつたわったのだろうと推測されています。その伝来の時期は、初期の須恵器が発見された古墳の年代からおよそ五世紀後半ごろと考えられています。

須恵器の器形は多様ですが規格化がすすんでいて、同一の器形はほぼ同じぐらいの大きさです。
土師器より製作技術にすぐれています。主要な点はロクロによる成形と、のぼり窯による高火度のやきものである点です。ロクロは成形だけでなく仕上げや施文の工程でも使用されています。

須恵器には丸底の器形が多い事も、ロクロの性能と関係があります。
ロクロの初期には作品を一度にひきあげることができなかったため壺や瓶の胴と口頚を別々に作って後でそれをつなぎあわす製法がとられましたので、川と頚の境目に明瞭な線が出来ていて、須恵器独特の屈曲の多い器形がうまれました。

古墳時代の須恵器は大まかに四つの段階にまとめられます。
第一段階 南鮮式とそれ以前のものは南鮮を経由して伝わった須恵器が、まだ完全に日本化されないで、南鮮的な色彩をのこしている段階。
第二段階 須恵器の日本化がいちおう完成する過程で、陽徳式と水尾式とに分けられます。
第三段階 南鮮式から海北塚式を経て荒坂式にいたるあいだは、すでに完全な日本化をとげた須恵器が第二の展開をとげる時期です。技法的には細長い筒形の部分をつくる技術の進歩によって壺の口頭部や台脚の発達がいちじるしくなります。また第一、第二段階ではわずかしかあらわれていない地方差がこの段階で明瞭になります。
第四段階 桃谷式とつぎの野畑式は古墳時代の須恵器から奈良時代の須恵器にうつる過渡期の様相を示し、そのあいだに外来の影響がみられます。技法的には平底の出現があたらしい時代の到来を告げています。

須恵器を時代で大きく分類すると古墳時代、奈良時代、平安時代にわけることができます。
古墳時代に次いで、奈良時代の須恵器でよく見るのは壺ですが、唐のやきものの影響をうけて、肌がふっくらと張り、裾の張った高台がついているのが特徴です。
平安時代になると、古墳、奈良時代に見ない様式の須恵器がいろいろとあらわれてきます。
一般的に平安の須恵器は古墳や奈良時代の須恵器ほど素地を炭化していないため、概して白けている事もその特徴の一つです。また、灰釉といって、灰の溶液に漬けたり、刷毛でぬって焼いたものもあります。
平安時代の須恵器で重要なのは、愛知県猿投山西南麓一帯の須恵器です。
須恵器は平安時代に終ったものと一般に考えられていますが地方によっては鎌倉時代になっても須恵器風のやきものを焼いていたところがあります。