日本の陶芸史

明治、大正時代

日用食器 文化・文政の頃から

江戸時代、わが国各地に沢山の窯が起りましたが小規模なものでした。
今日のように陶磁器は日用食器として使用されず、食器はすべて漆器でした。庶民が食器として日常的に陶磁器を使い始めるのは幕末の文化・文政頃からといわれています。この時代に併せるように瀬戸には「丸窯」といって、世界で一番内容積の大きい窯がつくられました。


理想的で世界一大きい窯

この丸窯は当時世界中の焼きものの窯の中で最も大規模なものであり、良い製品が大量に作れました。この丸窯の原型は中国福建省の建窯にそのモデルがあり、これが有田へ伝わり瀬戸へ伝わったものでした。
丸窯は民吉が有田から瀬戸へもたらし、明治に入ってから瀬戸で大きくなり、大正で最大の規模に達したのです。

大正末年の丸窯は、建窯のモデルなど比べものにならぬほど大きくなっており、世界一大きくなって理想的に発達した窯だということができるでしょう。

丸窯は、中の品物がゆるやかにまんべんなく焼けるので、焼け損ないのようなロスが少なく、円満で鷹揚な作品が焼けます。理想的でほとんど完璧な窯だったのです。

ところが丸窯は、焼くだけに五十日近くもかかるのですから、半年に一回ぐらいしか焼けません。昭和に入ると社会経済情勢と消費のバランスが変わり、六十日しか支払いの期日がきかなくなり、丸窯で焼いているのでは資金繰りが苦しくなってゆき、瀬戸では二十数基もあった丸窯もしだいに休業状態となりました。
それ以後発展途上にあった石炭窯がそれに代わります。

さらに昭和十八年の三河と尾張地方の地震で瀬戸の丸釜が壊れてそのまま姿を消してしまいます。
現在有田あたりでも変形した丸窯がその跡をとどめているにすぎません。