日本の陶芸史

奈良平安時代

施釉陶の出現-奈良三彩

奈良時代から平安初期にかけて、古墳時代以来日本陶磁史の主流をなしてきた朝鮮系須恵器窯はさらに発展をとげます。
この時代の特筆すべきことは、施釉陶の技術が現出したことです。
この技術は土器から陶器へ画期的な飛躍でした。

施釉陶には大きく二種の区別があります。

その1は、鉛を媒熔剤とする低火度の彩釉陶であり、緑釉の単彩から緑、黄、白の三彩です。おそらく唐三彩か渤海三彩あるいは新羅の緑釉等大陸の技法を移入模倣したものです。

その2は、窯中の降灰による自然の釉化にヒントを得、これを一歩すすめて人為的に灰汁を施したいわゆる灰釉陶です。

奈良時代の彩釉陶として正倉院の三彩5点、二彩35点、緑釉12点、黄釉3点、白釉2点の五七点は我が国にとっても、世界的にもとても重要な遺品です。これは日本で最古の人為的に釉薬をかけたやきものとされ、また世界最古の伝世したやきものとさてれいます。

以来、緑・褐・白三彩の低火度釉を施したやきものを、奈良三彩とか奈良・平安の緑釉と称されています。
この正倉院三彩は窯の形式、釉の成分、成形技術から考えて中国大陸からその技術が伝播されたと考える事が正しいようです。


しかし、これらの低火度釉のやきものは平安時代に入ると制作されなくなりました。須恵器も平安時代に入ると、その製作地も東海地方や岡山県などいくつかの地城に集中してそれまでの地方窯は絶えることになります。
平安時代中期に編纂されたとされる「延喜式」には、陶器(須恵器)を産する国として摂津・和泉・美濃・播磨・備前・讃岐の六カ国が取り上げられています。

愛知県の猿投山西南山麓古窯では、全国的に分布していた須恵器窯が、奈良時代後半期以降急激に数を少なくしたにも拘らず、この猿投山西南藤古窯がこの頃から急激に数を増しています。