日本の陶芸史

奈良平安時代2

猿投山西南麓古窯址

猿投山西南山麓古窯は大変広い範囲に分布していて、それまでの考え方を大きく変えました。
その古窯の分布は南北に三十キロ以上にのび須恵器古窯だけで数百カ所以上あることがわかりました。さらにその後も発見が続き、近頃では愛知用水地帯古窯と呼ばれることが多くなりました。

この猿投山西南麓古窯群の大部分は平安時代の窯であり、五世紀の末ごろと考えられる窯が名古屋市の東山の末盛付近にあり、その後次第に時代が下るとともに兵が市に移動しています。
岩崎あたりの古窯は古墳時代終りごろ窯です。
さらに、長久手、日進、東郷、豊明など地域にあるものは平安時代のもので、ここに多数の窯が集中しています。


陶器の生産組織は『陶器の荘園』と考えられ、京都の宮廷、または貴族に所属していたと思われます。これらの製品は非常に精巧なロクロをもって製作されていて、その需要先は当然京都の貴族、寺院、宮廷であったでしょう。
現に非常に少数ではありますが貴族が使用したと思われるもので比叡山の経塚と京都の清水寺の経塚から出土したやきものが発見されています。

日本の古代窯業史のなかで、平安時代中期から後期にかけてこの地方のみが独特の陶器を生み出した時期があります。

藤原摂関政治の絶頂期、文化の上ではいわゆる国風文化の時代です。この時代とくに特徴的なのは、各種容器などにつけられた陰刻花鳥文です