日本の陶芸史

奈良平安時代3

渥美古窯の発掘

戦後のわが国における二大発掘は猿投山西南麓古窯址群と知多古窯址群の発掘であると言われていますが、近年は渥美の古窯発掘も重要視されています。
渥美半島には約五百個以上の古窯址があるとされています。
発掘の結果、一つの窯跡から二千個に余る出土品が出る事もありました。
田原町の大荒古窯跡からは藤原という銘の入った破片が出土して、この窯の焼かれた年代が推定され、さらに京帥との関係も明らかになっています。


七世紀後半以降の須恵器

古墳時代の須恵器は四段階に区分されましたが、奈良、平安時代、七世紀後半以降十二世紀初めまでの須恵器の変遷は三段階、八様式にわけて分類できます。

日本陶磁史学者、楢崎氏の分類

第一段階 古墳時代須恵器から歴史時代須恵器への過渡的様相をしめす時期です。各種の形態に平底や付高台を有するものが多くなり、また六世紀末から顕著になりはじめた地方差がこの 時期にさらに拡大します。岩崎17号窯式と高蔵寺2号窯式の二様式に分類できます。

第二段階 古墳時代の様相は完全になくなり、前代に出現したあたらしい形態のものが、器形的に完成をとげる時期。鳴海32号窯式、折戸10号窯式、黒笹78号窯式の三期に分類できます。

第三段階 須恵器の最終段階です。この段階は器形、胎土、焼成技術など、あらゆる点でそれまでの須恵器と性格をことにしています。とくに皿形態の出現と灰和陶の盛行が特徴的です。黒笹14号窯式、黒笹90号窯式、折戸53号窯式の三期に分類できます。


釉の化学成分

奈良時代に入ると唐文化の影響をうけて緑・褐・白など種々の釉薬をほどこした二彩、三彩、黄釉、緑釉、植物灰を原料にした灰釉などの、施釉陶器が出現します。

「正倉院文書」にある「造仏所作物帳」に記載された祝杯が三彩であり「江家次第」や「西宮記」などにある「尾張青宝」が緑釉であると思われることから「目本書紀」や「延喜式」などに「宝器」と呼ばれたものが、施釉陶器にたいする名称であったと考えられます。

奈良時代の三彩・緑釉の製法については「造仏所作物帳」に記載されています。
これには金属鉛を加熱してつくった鉛丹に石英をくわえて釉を作るとあります。現在の知識でこれを解すると酸化鉛五七%、酸化珪素四三%となり、現在使われている緑釉の分析値とほぼ一致します。
これに緑青をくわえると緑釉となり、赤土【鉄分の多い粘土】を加えると褐色釉になります。

釉薬の発見利用は陶芸に劇的進化をもたらしました。