日本の陶芸史

瀬戸の陶祖

陶祖・加藤四郎伝説について

愛知県の瀬戸では、加藤四郎左衛門景正を陶祖として陶彦神社に祀り、毎年四月十七、八日に盛大に陶祖祭を行なっています。

【藤四郎伝説】

加藤四郎左衛門景正、通称藤四郎という陶工については諸説伝えられています。

藤四郎は中国に渡り、陶芸技術を習得して帰国しました。先ず愛知県知多郡の常滑へ上陸してそれから陶器を作るよい土を捜すためにいたるところで焼成試験を重ねました。しかし、なかなかよい土が得られず、焼成試験を続けながら北上して猿投山の近くまできました。
瀬戸に至り初めて良質の陶土を発見し、ここで瀬戸古窯のを開きました。
常滑辺りから瀬戸までの間の山野に粗雑な、釉のかからない山茶碗がころがっているのは、藤四朗が焼成試験を繰り返し北上したからであるとされています。


瀬戸窯業発展
 
瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前は六大古窯とされています。
当時、瀬戸だけが釉薬を使っていて、その他はすべて無釉の窯です。
やがて、釉薬の使用技術が瀬戸から各地に伝播したとき、京瀬戸、美濃瀬戸、越中瀬戸、会津瀬戸という名称が生まれました。この後瀬戸は繁栄期を迎えます。
その他にも釉薬を使用するものが九州一帯に興りますが、これらは朝鮮の陶工がその技術を導入したものです。